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スキースクール体験録 ~レッスン・キャンプ・合宿~【前編:5スクール】

スキースクール

スキーを始めて30年余。様々なスキースクールにお世話になった体験を書きます。古い情報が多いので、昔話としてお読みいただければと思います。効果があったかどうかは触れません(私の能力次第、スクールに責任はありませんので)。替わりにエピソードを主に書きます。講習の考え方や雰囲気、講師の先生のキヤラクターなども伝われば。No1~4は閉校されていますが、No5以降は、営業なさってますのでスクール選びの参考になれば幸いです。

1.白馬サンアルピナ青木湖 スキースクール 

●1988頃入校 :半日レッスン)
●スキー場は1988年頃閉鎖
 スキーを始めて2年目あたりに、友人と初めて半日レッスンを受けたのがこちら。今はなき青木湖スキー場の、SAJの常設学校。
当時の私のレベルは、とりあえず転ばずに滑れるだけの超初級者なのに、自分ではそこそこ滑れる中級のちょっと前くらい、と大勘違いをしてまして。で、レベル分けは自己申告制だったため、中級に入りましたが、当然ながら他の生徒さんとのレベル差が顕著で、担当したイントラの先生に「あなたはこれだけ意識して滑ってくださいね」とあきらかに別扱いされ、ようやく自分のレベルの低さを思い知ったのでした。
 「これだけ意識して」という中身は覚えていませんが、とにかく斜滑降をやらされた記憶あり。外向傾という言葉を始めて知ったのもこの時です。言葉以前に、スキーとはそういうふうに外足に乗って滑るのが基本なんだということを初めて知りました。イントラの先生からしてみれば、えらいレベル間違いの生徒が混じっちゃったなあ、と思ってたことでしょう。誠に申し訳ありませんでした。

2.浦佐スキー学校

●1989年頃入校:2泊3日の特別講習、1日レッスン等
●2008年頃:スキー場閉鎖
 自分の下手さを思い知らされ、なんとか基本から立て直したいと思って行き始めたのがこちら。今や伝説ともいえるスキー場。上越新幹線浦佐駅から徒歩15分ほどの小さなゲレンデ、浦佐スキー場。2008年頃閉鎖され、今ではその痕跡が新幹線の車窓から遠く見える存在になってしまいました。
 浦佐スキー学校は、スキー場が一体となって運営されていました。訪れるスキーヤーのほぼ全員がスキー学校入校者といってよいほど、スキー場=スキー学校 だったようです。(今ではネイティブリンクという新たな組織でスクールを行っているとのこと)
また、浦佐のバッジテスト1級は他のテクニカルと言われるほど (ほんまかいな)、 検定の信頼度が高く、検定合格を目指す基礎スキーヤー向けに多彩なカリキュラムが展開されていました。私は一冬の間、隔週ペースでウィークエンドレッスンや日帰り1日常設レッスンに通いました。


 記憶にあるエピソードが2つあります。
ひとつめは、当時NHKでベストスキーという趣味講座番組がありまして、その講師が往年のデモンストレーターであった平沢文雄さんでしたが、そのお孫さんが浦佐でもイントラをやっておられました。(確かお孫さんだったはず)。私も一度常設レッスンでそのお孫さんに習いました。その後 現地で他の先生の講習中、「久しぶりですね。どうですか、前より上達しましたか」と声かけられ、その問いに対し私が「いや・・・全然ダメです」と答えたところ、「そうですか、それは僕の責任だ・・どんなところがですか」と言ってくれたのです。今でもその時のことをはっきり覚えています。
 もうひとつは、2泊3日の講習が終わる最終日の閉校式のこと。校長の挨拶(のちエルステ、近年はかぐらでレッスンしていらしゃる行方さん)が、「皆さん、レッスンは終わりますが、リフトはそのまま営業終了まで乗って頂いて結構です、めいっぱい練習してお帰りください」(当時 浦佐ではスキー学校講習生は講習終了時間までリフト無料だった)と、終日リフト無料サービスを宣言。まだ3時すぎでしたが、それからナイターまで滑って帰りました。
 翌シーズン、友人と連れだって別のスキー場に行ったとき、「滑りが変わったよ」と驚かれたのでどうやら浦佐の特訓成果はあったんでしょうね。

3.谷川岳天神平 園部スキースクール

●1990年~1992年頃
●スキースクールは閉校かもしれません
 なんとか中級レベルに近づいたかなと思い始め、滑走日数も増えてゴールデンウィークもスキーするようになりました。この頃、春スキーでお世話になっていたのが谷川岳天神平スキー場(群馬県)。谷川岳と言えば、日本列島の分水嶺。標高1900m超の頂の肩あたり、標高1300m付近にあるスキー場です。その地形により、シーズン中は豪雪となり、大量の積雪のおかげでGWあけまでのロングシースンとなります。
 園部スキースクールの校長である園部さんは、日本アルペン界でも著名な方とのこと。現・苗場スクールの代表(園部勝さん)のご兄弟だと伺っています。ネットが普及してない時代なので、当時のスクールの情報がいまでは殆ど残っていません。あまりお名前をきかないので引退されているのでは。スクールも閉校されていたら残念ですが、実際はどうなのでしょうか。校長もお元気だとよいですね。


 園部勝さんは世界でも活躍されたレーサーとのことで、その兄弟が校長さんですから、レッスンはポールレッスンが主体。 GWキャンプは合宿型で、 小さなゲレンデにポールを張り、短いコースを繰り返し滑る、というものでした。ポールキャンプと言っても、バリバリレーサー志向の内容ではなく、基礎スキーヤーもたくさん参加していました。3泊~4泊のレッスンでしたが30名以上の受講生がいたと思います。私は当然ポール経験はなく、滑りも下のレベルでしたが、ストレスなく参加できる雰囲気。レベルに合わせて指導してくれていました。若いイントラさんがコースの上でスタート前のアドバイス。また時に校長がゴール下で生徒さん一人一人にアドバイス。ポール初心者の私にも校長が丁寧にアドバイスしてくれたのを覚えています。

 宿泊は、麓のロープウェイ駅から車で5分の湯檜曽温泉の大型ホテル。大広間での夕食後は、校長による受講生全員とのビデオミーティング。全受講生の滑りに対し、ひとりひとり園部校長がアドバイスしてくれてました。時おり、ワールドカップのトップクラスの外人選手の技術解説も入りました。この辺が競技出身の校長ならではです。レースと無縁の私でも、それなりに楽しく聞けました。
 今は園部スキースクールはなくなってるかな。天神平スキー場も、当時ほどの人気がなくなってそうなのが残念。7年ほど前に行ったら、コースの下半分がスノボのパークになっていました。コースが短いので、カービング大回りに適した斜面が少なく、カービング主体となった今、スピードを出してすべるカービング滑りが小さなゲレンデに合わなくなっているかも、そんな気がしました。当時1990年代は、上部の急斜面や左手の高倉山ゲレンデは大きなコブだらけで、モーグラー天国の雰囲気すらあったのですがね。それにしても園部校長や当時のイントラの方々、お元気でしょうか。

4.三国スキー場 ホワイトスタースキースクール

●1995年頃 GWポールレッスンに参加
●スキー場は2004年頃閉鎖
 ポール主体のレッスンで、当時一度だけ入校したのが、苗場の隣にあった三国スキー場で、GW(ゴールデンウィーク)に開かれていたホワイトスタースキースクールのポールキャンプでした。三国スキー場も今では閉鎖となり、ホワイトスタースキースクールもなくなっているかもしれません。スクールには、クナイスルというスキーメーカーが協賛でバックアップしていたと記憶しています。
 レッスン内容はよく覚えていませんが、小中学生の競技スキーの生徒さんが団体で参加していました。早朝に、全員で軽いジョギングや柔軟体操をしていたのが、合宿っぽかったです。このときやっていた準備体操を、なぜか今でも覚えていて滑る前にやっています。

5.エルステスキースクール

●1996年頃 GWキャンプ等に参加
●拠点:スポーツコム浦佐。現在はかぐら中心に活動中
 前述した元浦佐スキー学校校長だった行方さんが立ち上げたエルステにもお世話になりました。最初のきっかけは、狭山スキー場でのグラススキーでした。グラススキーに手を出したきっかけは、グラスをやると効率よく上達するだろう、との考えから。当時、小回り習得に熱をいれていた私は、板(テール)を振る癖が再三指摘されていたので、横ズレや板を触れないグラススキーならその悪癖を矯正できるはず、と考えたのです。残念ながら効果のほどはそれほどなく、グラスになれただけ・・に終わってしまったのですが。(グラススキーのせいではなく、単に自分の運動神経の問題です)
 それはさておき、夏の狭山でエルステに出会った私は、冬もエルステに入校することに。当時のエルステの拠点は、今はなき浦佐国際スキー場(スポーツコム浦佐:2006年頃閉鎖。無くなったスキー場ばかりでさみしいですね)。エルステはシーズン中は浦佐国際で、春からGWは奥只見丸山スキー場でもポールキヤンプを開校。私も何度かお世話になりました。
 当時スタッフに、日原さんという主任コーチがいらしゃいました。エルステでコーチをしながら技術選でも戦ってらしたと思います。(その後富士天神山へ。今でもそちら関係でお仕事されているのではないでしょうか。TV番組でもおみかけしましたので)
 

 奥只見のポールキャンプでのエピソードを2つほど。
GW中はゲレンデが激コミで、リフトは数十分待ち。そこで行方校長曰く、「リフトを待つより歩いたほうが早いですよ」。というわけで、ポールを滑り終わったらカニ歩きで斜面を登ってました。おかげで足腰が鍛えられたと思います。
 もうひとつは、ビデオ撮りの際、校長がデモ滑走でまさかの転倒! 撮影していた日原コーチ曰く「校長が転倒するなんて貴重映像」。その夜のビデオミーティングでは、校長自ら自分の転倒シーンを丁寧に解説されたのが印象的でした。何度かスロー再生しながら、なぜ転倒につながったのか、この〇ターン前からここをミスしているでしょ、それがこうこうこうなって転倒につながっている・・・等々。普通ならここまで自分の転倒を解説しないでしょうに。・・・この方、本当に指導のプロだと思いました。ちなみにそんなミーティングをしていた宿泊は、浦佐駅前のホテルオカベでした。
 

 最後に、私が感じたエルステの印象。
ポール以外の通常レッスンは、検定を意識したカリキュラムだったように思います。ただ、種目の練習というより、体のパーツをどう使うか、という動きの練習や、また、とにかくずらすトレーニングをよくやったのも覚えています。「いっぱいいっぱいずらしてください」という校長のセリフが今も残っています。真ん中にのるポジションが大事、ということを徹底的に教わったのだと思います。私の運動神経に問題ありで、あまり身につかなかったですが。

今もエルステスクールは顕在と聞いてますが、どのような内容でしょうか。入校された方がいましたら教えてください。

以下、【後編】へ続きます。

ムラーヌスTV もご視聴ください。

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