忘れないうちに、書いておきたいので書きます。お読み頂ければ嬉しいです。
10年近く前の話だが、9月か10月頃の日曜の夜だった。 休日出勤を終えて、帰路に就いているときのこと。 勤務先がある銀座からJR新橋駅までの帰路にある、昭和通りと海岸通りの交差点の歩道橋の上で、 彼と出会った。斜向かいにドンキがあるあの交差点だ。
銀座のドンキのある歩道橋、話しかけてきた台湾人
歩道橋の階段を上がったところで、大きなバッグをもった旅行者ふうの人影が1人 スマホを手にウロウロしている。 すれ違い様、人影が声をかけてきた。
「ロイヤルパークホテル・・」 とスマホ画面をみせてきた。 髪が長い若者だった。アジア人だ。まだ若い。中国人旅行者? 中国語はわからないので「英語は少し話せるが、わかるか?」と聞くと「話せる」と彼。 彼は英語が流暢だった。自分はカタコトに毛の生えたレベル。 それでも中学英語のSVOC文法を思い出しながら、話が始まった。
とりあえず、この中国人らしい彼はホテルに行こうとしてるのね・・。 ホテルなら確か、汐留のビル群の中にあったはず。資生堂のビルか、日本テレビのビルかの中に。 なので、とりあえず「ゆりかもめ汐留駅のそばに行って、 そこでもう一度道を尋ねてもらう」ことにした。
「自分は今、帰宅途中で新橋駅までいくので、新橋駅まで自分についてきて。 新橋駅からゆりかもめというのに乗って2駅目で降りて。そこでもう一度、ホテルの場所を訊くのがいい」と。
これが後で気づいたのだが、とんでもない案内ミスだった。 だって、この歩道橋から行くのなら、カレッタ汐留方面に向かって歩けば、 右手にゆりかもめ新橋駅が見えてくる。ホテルがあるビル群はそのそばにある。 わざわざ新橋駅まで歩いて戻って、ゆりかもめに乗る必要は さらさらなかったのだ。 それを自分がホテルの場所を勘違いして、大回りさせることになるとは。
彼はカナダ在住のスノーボーダーだった
無責任な道案内にも気づかず、振り返ると彼はほっとした表情でついてきた。 最初は真後ろを黙ってついてきた。 新橋までは約7~8分。お互い黙っているのも気まずいので せっかくだからと、カタコトの英語でコミュニケとってみることにした。 -どこから来たのか?- 「台湾」 -台湾なの?、とっても近い国だ。台湾は日本とは親しい国だ-。 なんとか英語に直して話す。
これを皮切りに、観光旅行できたのか、日本ではどこを観て回ったのか・・・等々、 お決まりのQ&Aが暫く続く。
自分が台湾と訊いて思い浮かんだのは、世界のホームラン王である王選手のルーツの国であること、そして日本ハムファイターズに当時在籍していた陽岱鋼選手くらいだった。 嬉しいことに、彼も陽岱鋼を知っていた。野球は好きみたいだ。 それで ただの観光客用のお決まり会話から少し脱皮でき、少し打ち解けることができた。
その後、彼はまだ20代であること、台湾生まれだが今はカナダに住んでいることもわかった。
-カナダ? カナダには行ったことあるぞ。ウィスラー&ブロッコムというスキー場だが。-
「ウィスラーに行ったのか? 自分はスノーボーダーだ。ウィスラーももちろん行った」 これでまたさらに会話が弾み始めた。弾んだ、と言ってもこちらは流暢には話せないので 中学レベル英語でだが。 「スノーボードをしに日本に何度かきたことあるぞ」 -日本のスキー場はどこへ行った?- 「白馬や〇〇、〇〇、〇〇、(4から5か所のスキー場名を言っていたが忘れた) 一番好きなのは白馬だ。白馬は・・・(何言ってたかわからず。とにかくほめていた印象)」
ウィスラーはどうだった?と彼。
新婚旅行でいったときのことを話した。 スキー場がでかかったこと。麓のビレッジの雰囲気。そしてどでかい肉やサーモンなどの食事。 さらに、夜のスノーモービルツアーなど。
ゆりかもめ新橋駅でハイタッチ。でもこれじゃ、ホテルまで遠回りだったね。
そうこうしているうちに、JR新橋駅に着いた。 彼をゆりかもめに乗せないといけないから、ゆりかもめ新橋駅まで連れていき、 駅のエスカレータの前まで案内した。 -これに乗ってまっすぐ進むとゆりかもめ新橋駅の改札がある。次の駅でおりてそこで駅のスタッフに訊くといい- と、大間違いの道案内の念押し。
彼はこちらを振り向いて笑った。 そして黙って片手をあげてハイタッチしてきた。 ついこちらも自然に応えてしまう。 ハイタッチしたのは初めてのことだったが、右手が動いた。 彼がエスカレータで登っていく。 その姿を上がり切るまで見届けることなく、自分はそそくさとJR駅に向かった。 そそくさと行ったのは、 彼がもし振り返ったときに、自分はなんだか照れ臭い気がしたから。
なんのことはない話で、単なる観光客への道案内にすぎないのだが この時の10分間を今でもよく覚えているのはなんでだろう、と思う。 彼は、親切な日本人が道案内してくれたことにいったんは感謝してくれただろう。 こちらも、 あの笑顔をみて、自分は親切なことをしたのだな、と満足感に浸った。 が、翌日になって、なんと自分の道案内は遠回り、だったことに気づいたときは なんども言えない申し訳ない気持ちになった。 彼はあの後どうしただろう。 ゆりかもめなんかに乗らなくてもホテルには行けたのに、知ったかぶりのの日本人に遠回りの道を歩かされ、ゆりかもめに余分に乗らされたことに後で気づいて、やれやれだったのでは、と。 なのでとりあえず、間違った道案内してしまい、ホントに申し訳ない。 あの日のスノーボーダー君に謝りたい。絶対にこのブログを読んでないと思うが 「對不起」 それにしても、このエピソードを今でも覚えている不思議さ。 おそらく彼が単なる観光客ではなく、日本のスキー場が好きで、白馬の雪質が大好きで、と語る、 スノースポーツ好き同志だったということがあったのではないか。 そこに、単なる観光客に親切に道案内した事以上の親近感を感じたのだと思う。 未だに日曜日の夜、この歩道橋を歩くとそのときの道に迷った彼の姿が思い浮かぶ。 そして、別れ際にハイタッチしてきた、彼の手の感触も。 彼は日本にまだスノボをしに来ているだろうか。
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